2019/03/19 20:53

佐竹佐市さん・86歳(民芸部)

 佐さんのはけごは大人気。かわいいデザインと色使いが好評です。そんな佐さんのはけごを見た人は女性が作ったものだと思うそうです。

 照れ屋の佐さんは多くを語りませんが、はけごが好評なことで「作る張り合いが出る」と言って喜んでいました。佐さんのはけごは、帯状のデザインの中に花の模様(花編み)を加えていることがポイント。先輩が作っていたものをヒントにデザインを改良していったそうです。素敵な配色については、佐さんのセンス!の一言に尽きます。4色使う時もあれば2色のときも。そのどちらも驚くほど素敵で、そのセンスこそ佐さんのはけごが人気の理由です。

 物心ついたときから、藁を使った手仕事が身近にあった佐さん。さらにはけごのお話を...と思っていたんですが、冬仕事の話をしているときに面白かった炭焼きのお話をひとつ。

 昔は一年に使う炭を作る炭焼きが冬仕事のひとつでした。材料となる木がある山に炭焼き釜を作り、そこに毎日通ったそうです。遠い場所だ、と言っていました。一回で使う木を切り出して長さを揃える、太いものは割る作業を終えるころにはお昼。機械なんてない時代の話です。そして前日に火をつけて炭になった木を取り出して砂をかけて冷ます。その空いた釜に新たに木を入れる。並べて火をつけて釜口を塞ぎ、煙突の排気量を調節。前日に冷ましておいた炭を、藁で出来た炭俵に入れてそれを背負って山を降りる、というのが一連の流れ。そして材料となる木がなくなったら、また別の場所に釜を作るんだそうです。釜は三人掛かりで一日で作れるとのこと。良くできた釜はずっと使えて、堅い土のものなら今でも残っているんじゃないか、と。

 釜の大きさは五六(ゴロク)といって、横5尺×縦6尺のもの(1尺=約30cm)。素人の私はそこに入って木を並べるのだと思っていたのですが、木を倒して入れて、先がY字になった「たてまた」を使って起こして奥から並べていくのだと。犯人を取り押さえる「さすまた」の、木を起こすバージョンです。なるほどと感心する私。そして横にした木を起こすだけの長さ(スペース)が無くなると、えいっと投げていくのだそうです。え?と思ったんですが、慣れると投げ入れて立てることができるんだとのこと。大きさの整ったパイプとかならわかるんですが、重さも真っ直ぐさも微妙に違うものをひょいひょい投げて立てていくなんてびっくり。しかもたてまたを使うのが面倒だから、奥の土台だけ作ったらあとは投げて入れていたんだとか。ぜひ現場を見てみたかった!

 そうして出来たがった炭は黒炭ではなく白炭。この地域で作っていたのはみんな白炭だったそうです。黒炭と白炭の違いはこちらをご参考に。

http://www.kishu-binchotan.jp/mame/page3.html

 佐さんの一番辛かった冬仕事はなんですか?と聞いたら「つらいっていうのはないなあ。みんな必要だと思ってやっていたことだから」。冬は藁で紐を作る「なわない」が日課で、一日一把(いっぱ)の藁を夕食後になったそうです。その紐を使って縄や草履、蓑(みの)、俵などを作りました。もちろん炭俵もです。同じ縄でも、家で使うものと山仕事で使うものは作りが違ったと聞いて、またしても感心した私。佐さんは「テレビ観てると、時代劇なのに機械で編んだ縄を使っているんだもの」と笑っていました。見ただけでわかるものですか?と聞くとすぐわかるーとのお答えに、そんな視点があったことにいたく納得した私でした。

 出稼ぎ(この地域では遠くに単身で働きに出ることだけではなくて、農業などの家業以外で現金収入を得る仕事に行くことも含めて出稼ぎと言います)をするようになってからは冬仕事もしない生活に変わっていったんだそうです。その頃を知らない私はむしろ炭焼きをしてみたい欲がむくむくと湧き上がってきました。

 最後に、佐さんのお宅にある一番古いはけごってどれですか?と訊ねると、おじいさんが作った藁のはけごがあるんじゃないかな、とのこと。でも、どこのお宅でもそうですが、古い道具のほとんどは小屋の隅に入っていたり、どこにあったのか探さないとわからない状態です。今はまだ雪がたくさん残っているので、足の悪い佐さんが小屋に探しに行くのはたいへん。なので春を待って見せていただこうと思います。そのときは写真でお伝えできると思います。

鬼武