2019/04/05 20:12

鈴木秀司さん・68歳(民芸部部長)

 

 秀司さんの手仕事はとても丁寧。出来たはけごは触ると驚くほど頑丈で、その実直な性格を表すかのようです。そんな秀司さんに一番古いはけごを見せていただきました。

 尋ねるとすぐに「白菜ある?」と言って、巨大な白菜を三個もくださいました。今年は雪解けが早いから「かや(かやぶき屋根に使うかやと同じ)」を刈ってそれを被せて保存しているそうです。

 藁で出来たはけごは、しっかり使われていたのがわかる姿でした。大きさは大人の背中ぐらい。誰が作ったものかはわからないけれど、50年は経ってると思うとのこと。

 化学繊維に変わる前、朝日町では養蚕が盛んでした。雪深い冬の貴重な収入源で、作業小屋や古民家は二階部分が養蚕用の作りになっているのが今でも確認できます。養蚕が生活を支えてくれた名残でしょうか、「かいこ」とは言わず「おかいこさん」という丁寧な呼称も健在です。

 おかいこさんの食事は桑の葉です。桑の葉を山に取りに行くのは大切な仕事で、その入れ物が今回のはけごでした。でも本来は写真の二倍程度の大きさがあったそう。では写真のはけごはというと、子供用ではないかとのこと。それを桑の葉の収穫だけでなく、田植えにも使っていたのだろう、だから底が汚れているのでは、と。

 現在では田植え=機械での田植えで、それと区別して機械を使わない場合は手植えと言いますが、昔は田植え=手植えでした。その田植えでは植える苗を人が運んで、田んぼの中に投げ入れていたわけです。

 水を含んだ苗は結構な重さがあります。子供がはけごに苗を入れて運んでいたのでしょう、その時の泥の汚れが今もはけごに残っていて、泥の水分で底が弱くなっていました。それが何とも言えない味になっています。

 「あと三日早ければ、妹の家にもっと古いはけごがあったけど、もう燃やしちゃったな」と秀司さん。昨年は、私の近隣にあった桑の木が倒されました。養蚕をしていた頃は桑の葉を山に獲りに行くだけではなく栽培もしていましたが、今は管理できずに邪魔になった木は倒すのが第一選択で、ほとんど残っていません。桑の葉は今でも薬草茶として飲まれていて、香りがよくてほんのり苦い飲み口が私は大好きです。

 秀司さんは子供の頃からはけご作りをしていたわけではなく、大人になってから本格的に覚えたそうです。今は民芸部の部長として技術の伝承に力を注いでいます。今回お伺いしたときには、ちょうど山葡萄の皮を水に浸けて戻しているところでした。クルミの木の皮を使った手提げバッグも作られています。

 そんな秀司さんに、「今年ガマのはけごを作るための材料を収穫しませんか」と誘うと二つ返事で了解してくださいました。やった!!はけご放浪記#1でお伝えしたガマのはけごの再現です!いい材料と秀司さんの丁寧な手仕事があれば、とってもいいはけごができるはず!

 またひとつ、今年のワクワクが増えました。

鬼武