2019/04/20 19:51

長岡 廣さん(87歳)

 廣さんは、【人の数より、はけごが多い山里】の投稿で登場したおじいちゃんです。はけごのPVにも出ていて、何でもこなすとても器用な方です。朗らかでサービス精神旺盛なお人柄で、つい長話してしまいます。
 PV制作でお邪魔したときに見せていただいた、年季の入った黒のマイカー線はけごを撮らせてもらおうと訪ねました。
 
 春も本格化してきた晴れの日、小屋の前にはさっそくわらびが干してありました。本当に、達者なお年寄りはいつ休んでいるのだろうと思うほど動いています。この辺ではそういう人を「あの人は、かしぇぐ」と言って褒めます。「かしぇぐ→かせぐ=よく働く」という意味です。
 「マイカー線のはけごを見せてもらいたくて」と言うとさっそく出てきました。奥さんのお父さんが作ったもので、5、60年にはなるとのこと。マイカー線というものが出た頃に作られたものだそうです。マイカー線というのは、農業用のビニールハウスや育苗トンネルを覆うビニールを抑えるために使う資材のことで、中に細い針金の芯が入っています。そのため非常に丈夫でしなやかなのが特徴です。
 昭和30年代に農業でビニールが使われ始め、昭和40年代にビニールハウスが広まりました。農協に問い合わせたところ、「マイカー線が使われ始めた正確な時期はわからないが、昭和47年にはさくらんぼハウスが登場して、その頃にはあったはず。その前から育苗トンネルはあったのでもう少し前から使われていたと思う」との回答でした。時期的に廣さんのおっしゃる通りで、やはり60年くらい前のはけごのようです。
 はけごに付いている紐は、あとから廣さんが足したものだそうで、元はどう使っていたかというと、長い紐を通して背負っていたとのこと。藁のはけごを使っていた時代は、「荷縄(になわ)」という背負うための紐も藁で作っていたそうです。はけご放浪記#2でご紹介した佐市さんと同様、廣さんも小さいころは一日一把の「縄ない」が日課でした。荷縄の長さは「二ふり半(ふたふりはん)」。成人が両手を横に広げた長さを一ふりと言って約六尺(約180cm)、つまり尺貫法だと一ふり=一間(いっけん)になります。ですがそれを一間ではなく一ふりで表現するのは、荷縄は背負う人の体格に合わせたもので180cmと決まったものではなく、その人が両手を広げた長さの2.5倍がちょうど良いとの昔の知恵からなのでしょう。
 さらに荷縄は、中心の40cmほどをしめ縄のように太く作るのだそう。「なぜですか」と訊ねる私に、ロープを使って実際に見せてくれる優しい廣さん。荷縄は、はけごを通して肩口の上から首の前にきて、そこで結んで使います。昔は薪でも何でも背負って運ぶのが当たり前で、その加重が結び目に掛かるので丈夫にする必要があり、しめ縄状に太くしたのだと。実演してもらってよくわかりました。「へえ~」と感心しきりの私。
 
 藁のはけごはないけれど、藁の蓑(みの)はあると見せてくれました。廣さんのお父さんが作ったもので、非常に丁寧に丈夫に作り込んであるのが一目でわかりました。蓑は昔の雨具であるとともに、はけごなどを背負うときにも着たのだと。そうすると背中が痛くならなかったんだそうです。確かに、背中に当たる真ん中が分厚く作られていました。持ってみるとその重さにびっくり。藁をたくさん使って丈夫に編み込まれているからこその重みでした。重い蓑を羽織って、重い荷物を背負う、昔の人は本当に達者だったのだなと改めて実感する私。

「今はけご作りは?」
「はけごは作ってねな、箕(み)は作ってた。」
「ほんと何でもできるんですね!」
「いや、秀司さん(民芸部部長・はけご放浪記#4)が作ったやつひとつもらってよ、それ見て覚えたんだ。」
「ん?もらったやつをばらしたんじゃなくて、見ただけでわかるんですか?」
「んだ。どこから作り始めるのかもわからなくてよ、んだからよーっくと見たんだ。」
「やっぱり昔から道具を作ってるから見てわかるんでしょうね。」
「んだべなあ。」
そう答える廣さんは、どこか誇らしげなのでした。

「箕は売るんですか?」
「んね、いる人さ、けてやんだ(あげるんだ)。」
廣さんの作った箕はPPバンドを使っていて、大きいものでもとても軽いです。
「これはいいですね!とても使いやすそう。」
「んだのよ、軽くてな。」
「やっぱり自分の使う道具を自分で作るのって昔は当たり前だったんですよね。自分の使いやすいように作るっていう。」
「んだ!」
「でも箕を上手に使うのって難しいですよね。真似事で使ったことはあるんですが。」
「んだ!箕振り(箕を振ること)ができれば百姓として一人前なのよ。」
「なるほど~。」
「うちのかあちゃん(奥さん)は山育ちだからよ、箕振りは大したもんだ。」

 そう語る廣さんは、定年になるまで約35年間東京に出稼ぎに出ていました。朝日町のような山間部の畑、田んぼは一枚がとても小さいものです。特に昔はそうでした。そういった田んぼで稲作していても食べていくことはできないと、いち早く出稼ぎに切り替えました。ちょうど時代は「動力近代化計画(国鉄の蒸気機関車を電気を動力としたものに変えていく計画)」の折。国鉄の信号を作る会社に入り、上り調子の会社には北海道から九州まで日本全国から働き手が来ていたそうです。一つの現場に入ると半年はその地で暮らし、青森での仕事もありました。当時は会社のチームが現地入りし、現地の集落長に話をして出人夫(でにんぷ)と呼ばれる作業員を募っていました。そうして日本中の線路を拡大し、電化していったのです。山形に所帯を持つ廣さんは会社員と同じ福利厚生を受けられず、その分帰省を減らして働いたそうです。出稼ぎの間は廣さんの父親が家、農地を守りました。ちょうどバブルが弾ける頃に定年を迎えた廣さんは、いい時期に辞められたとおっしゃっていました。

 朝日町に戻り、農作業やはけご作り、木工にいそしむのは「楽しみだ」という廣さん。「いつ休んでるんですか?」と聞くと「こんな生活だもの、毎日休みみたいなもんだ」と笑います。そんな廣さんは、うさぎを飼っています。冒頭で紹介したマイカー線のはけごも、今はうさぎの餌となる草などを運んでくるために使っています。そのうさぎは、毎年お正月に雑煮として食べるために飼っているのです。
 今ではフランス料理で高級食材とされるうさぎ。昔は鶏とうさぎはどの家庭でも飼っていて、うさぎは特別な席で食しました。皆がうさぎを飼っていた頃は、決まった時期に別の集落から「皮屋」と呼ばれる人が来て、うさぎの解体を一手に請け負ったそうです。毛皮が貴重だった時分、解体料として毛皮は皮屋さんが取り、肉は各家庭で食べたのです。

 朝日町の集落では年に一度、「契約」という行事があります。今では施設を借りて行いますが、昔は当番性で各家庭で行ったそうです。当番のお家が料理、お酒、餅つきを用意して集落の人を振舞いました。そのときにもうさぎを一匹使い、大根、白菜、ゴボウと一緒に醤油出汁で煮た「うさぎ汁」を出しました。食料が豊富ではなかった時代、捌いたあとの骨を細かく砕いて、ミンチにしたうさぎ肉と合わせて団子にして「どんがら汁」として無駄なく使い切りました。お客様にはうさぎ汁、家族はどんがら汁、といった具合にです。
 契約は、集落の人が集まってお酒を飲み語らう、いわゆる親睦会ですが、昔は少し意味合いが違ったそう。今は土日、祝日など休日に休む習慣があり、日曜を休みにしている農家さんもいますが、昔は特定の休日がありませんでした。特に集落の全員が家業で生計を立てているころは、ずっと働いていたそうです。その中で契約は、「今日は全員休み!昼から飲もう!」というお休みの日だったのです。みんなが働いている日に自分だけ休むと「あいつは、かしぇがね(働かない)」と思われてしまう心配もあるので、大手を振るって皆が休める日を設けるのは、地域が円滑に回る知恵でもあったのでしょう。

 うさぎ肉を楽しみに飼っているという廣さん。「骨をしゃぶりながら酒飲むのがうんまいのよお~」と笑顔で語ります。ですが、「飼っていたうさぎを殺すのはかわいそうでよ、
自分ではできねから、人さお願いすんだ」とも。
 なんだか素敵な人だな、と思います。実際に廣さんのうさぎを見ると、食用になることに抵抗を覚えますが、私は普段お店に並んでいるお肉を買ってくるだけです。そんな私は見たくないもの、知りたくないものを気付かないようにしているだけで、「うんまいのよ~」「かわいそうでよ」とおっしゃる廣さんは、よっぽど心が健康に動いているように感じるのでした。

 だいぶ長居してしまった頃、同じくうさぎを飼っている廣さんのうさぎ仲間が来ました。「うちのうさぎが子を成してよお」と話し始めたあと、私に向かって「ごめんな、話の邪魔して」とおっしゃるその方に、「いや、こちらとはほとんど話し終わったからよ」と言い出す廣さん(笑)。そして今まで以上に熱が入った調子で「この間うちのも子を成したんだ~」と始めました。「よっぽど好きなんだなあ」と心で笑いながら、お礼を言って帰りました。
                                                                                                                                                                                            鬼武

追記
 文中に出てくる「百姓」「人夫」「出稼ぎ」の表現は差別用語とされますが、はけご放浪記#5でも記載した通り、語り手が使っていること、語り手自身が差別的な意味で用いていないことからそのまま表記しています。またはけご放浪記では、はけごを通して地域の文化・風習も記録していきたいと考えておりますので、言葉の一面やその是非ではなく、言葉があること、その言葉の持つ多面性も重要だと判断し、今後も口述通りをお届けしていきたいと思います。もし馴染みのない言葉がございましたら、お手隙に検索してみてください。きっと日本の営みが見えることと思います。私はまだまだ勉強の身ですので、無自覚に用いた表現等がございましたら、ご指摘頂けますと幸いに存じます。